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2012/03/15 Thuわるいやつらは蓮の下(帝釈天的日記)
これから書く事は批判とかではないのであります。

不思議というか・・不可解?に最近思う事で
どうも、もやもやするのでちょっと頭の外に出したいにゃと。

先日も、がれき処理の話をちょいと書きましたが、

たとえば被災地のがれきの放射能の数値が高かったとして
受け入れしないというのは正義なのか??

同じ日本という国に住んでいて
東北じゃなくても原発のある県はたくさんあって、
日本に住んでいる大多数のヒトは電気の恩恵を受けていて。
たまたま今回は東北が被害の中心だったけれど
同じリスクはみんなにあって。

自分のトコが被害がなかったとしても、
同じ痛みやリスクを日本という国に住んでいて、

「同じ言葉を話して、
 同じような食生活で、
 同じような楽しみを持っているヒト同士、
 分かち合おう」

という意識が大きく作用していかないものかしらと。

放射能の危険があったとしても、
それは被災地に住んでいないからといって免れるべきものとして良いのか・・。

アニーには子供がいないから
「思いやりがない」と親に言われるくらいの人間だから
そんな風に思ってしまうのかもしれんのですが。

自分や自分以外の大切な存在があり
そこには確かな愛があっても、
自分に関係のあまりない他者を犠牲にして
その愛を守るという
人間の気持ちの不思議が未だによく分からぬのです。

「人というのは悪事をしながら人助けもできる・・そういうものよ」

池波先生の作品では執拗に書かれております。

誰かにとっては悪魔みたいな所行をする人間が
一方では慈しみの心を持ってたりする。
その矛盾が人にはついて回るということは
頭ではよく理解できているのであります。

でも、その心を共有することができないのです。

「自分たちの子供が安心して暮らしていくために
 住んでいる地域に危険なものを持ち込んでほしくない」
という正義。

「自分たちの子供が安心して暮らせる故郷に戻したい
 一刻も早く復興して元の生活に戻りたい」
という正義。

それぞれのヒトが愛を持って、
正しいと信じるものがあるのだけれど
愛を貫こうとすると悲しい光景になってしまう。

沖縄の基地問題とかもそうですよね。

世の中のほとんど全ての問題は
きっとこの無意識の差別化。
で、これは太古の昔から現在まで
(多分ずっと先の未来までも)続く、ヒトのこころなんでありましょうね。


ただ、アニーも苦しんでいる人のために
自分を犠牲にしているのかと言われると
そうではなく、自分の生活で精一杯なので
そんなヒトな自分に対しても、もやもやしております。







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帝釈天アニー

Author:帝釈天アニー
役者。と思います。
一人芝居のDMから映像からその他もろもろは何とか自分でやってる制作者でもありやす。マイナーの女王になりたいようななりたくないような、「第一印象はあてにならない」が信条の遅れてきたアイドル志願。

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