さて、昨日の『毛皮のマリー』ですが、美輪さんがパンフレットで、ご自身の『毛皮のマリー』決定版とおっしゃられてる通り、寺山修司&美輪明広の舞台世界が全て表されてるような感じがいたしました。
と、言っても、アニーは原作を読んだり、ビデオを見たりしてるだけで、この作品を実際に観たことはないのでありますが・・。
舞台の前半は、自分の持ってる“寺山修司的(天井桟敷的)な”イメージと様々なモノが異なる気がして、美輪さん色ばかりが先行している印象(演出だから当たり前ですがね)だったのですが、最後の最後、セリフのない数分の場で嵐のように感情がわき上がり、「ああ 寺山さん居るなあ・・この舞台観られて本当良かったなあ・・・」と感じました。
なんというか、最後の場面は、寺山さんの存在が“ドシン!”と胸を刺してきて、書籍を含め、その全作品を一つにしたような、
寺山修司という存在自体が目の前にあるような感じだったのであります。
他の方は知りませんが、幕が降りる前数分間でアニーは“ドド~~~ん”と涙があふれて大変でした。
まあ、この作品の・・いえ、寺山作品の根底にある主題が最後のシーンに集約されてると思うので、当然といえば当然なのでありますが。
それに、舞台以外の細かい箇所まで、寺山さんへの愛と尊敬が溢れてる空間だったことも、趣が深いことでありました。
ただ、客席の雰囲気には、ちょっと驚かされましたね。
美輪さんの舞台初体験だったので、余計びっくらだったのでせうが、観客の美輪さま・・・もとい!!
美輪さんへの心酔っぷりが伺える空気が会場全体に流れてて、とくにカーテンコールの時とか、ある種宗教的な感じもして、アニーはなんとなく疎外感を感じてしまいました。
美輪さんは、アニーも大好きで本も拝読しておりますが、純粋に『毛皮のマリー』を観に行った自分と、純粋に美輪様を愛している方達の間の壁・・みたいなモノがある気がして、素直にスタンディングオベーション出来ませぬでした。
まあ、ファンの人の気持ちというのは、アニーにも痛いほど、ホント痛いほど分かるので、それがどうこうって訳じゃないのですが、大きな舞台っていうのは、こうゆうズレみたいのありますわね。
メインの役者さんが人気のある人なバヤイ、そのファンの人とそれ以外の観客==みたいなのは必ずあるもんでいす。
舞台って、その空間/時間を、客席含めてみんなが共有してるものだから、それが感動できる作品だったら、終わった後観客にも、えも言われぬ一体感や満足感というものが生まれてくるのでありますが、ズレみたいなものがあると、その一体感から外れてしまうのがアニー的には残念な感じです。
ありゃ、話がちょいとそれてしまったわい。
アニーが一番語りたかったことが、全然書けておりませぬので、この話は次も続きまふ。
実は、この公演をどうしても観たかった最大の理由があるのでありますよ・・へへ。
待てよ!乙女!!
先は長いぞ!!!