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2009/03/27 Friわるいやつらは蓮の下(帝釈天的日記)
ひと呼吸おいてしまいましたが、「泣き」の芝居のはなし。


先日のドラマを見ていて「泣き」が難しいと感じたのは、上手に泣けてて情感たあ~っぷりでも、見てる側にはたいして伝わらないもんだとしみじみ思ったからであります。
むしろ、悲しみが盛り上がれば盛り上がるほど、コチラ側はどんどん冷めていくバヤイもあるわけで・・・・(ゴッドファーザー3 のアルさんは正にこんな感じでありました)。

役者さんの力量・演出の稚拙さなどが関係するのはもちろんですが、『考えすぎない』『抑える』技術というのも、「泣き」のシーンでは重要なのではなかろかと個人的に思います。

役に入り込みすぎて感情が抑えられなくなることは、役者さんにはよくあることだと思うです。
だから集中してれば、「泣く」ことは自然な行為なのですが、役者さんはあくまで《演技》をして物語を見る側に伝える役割があるです。
だから、あまりに感情に流されすぎて“セリフが言えない”とか“段取り忘れた”とか“激しく見苦しい”とかになったらダメなのでいす。

役者ってえのは、どんなに感情があふれても常に客観的に自分・相手・場面を見つめることが何より大切だよね。。
ってアニーは思います。

むしろ何も考えてない佇まいが、とんでもなく悲哀を背負ってるように見えることもあるし(動物モノとか)、お芝居はやっぱりフィクションの世界なので、ただ単に“嗚咽するほど悲しいから泣く”なんてやっても、それが見る側に伝わる迫真の演技かというと、決してそんな簡単なもんではないのでありますな。

「どうすれば伝わるか」+「正しい反射」
をしっかり考えて、客観的な自分をグっとどこかに持ちつつ、しかも、役の感情にも流されるということが、「泣き」の芝居には必要ではないかなと思うであります。

まあ難しいことではありますが、それはほれ、役者の醍醐味みたいなやつで、自分の体を使ってどう表現するかを考えるのも、たまらなく楽しい(70%しんどい)作業なのでありますな。


アニーもそのうち暗~~い悲し~~い芝居やりたいなあ。。。
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帝釈天アニー

Author:帝釈天アニー
役者。と思います。
一人芝居のDMから映像からその他もろもろは何とか自分でやってる制作者でもありやす。マイナーの女王になりたいようななりたくないような、「第一印象はあてにならない」が信条の遅れてきたアイドル志願。

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